岡野喜太郎 岡野喜太郎

岡野喜太郎(おかの・きたろう)は明治-昭和時代(1864-1965)の銀行家。元治(げんじ)元年4月4日生まれ。明治20年郷里静岡県で貯蓄組合共同社を設立。28年根方銀行を創立して頭取となる。翌年駿東実業銀行,45年駿河(するが)銀行(現スルガ銀行)と改称。昭和32年まで62年間頭取をつとめた。昭和40年6月6日死去。101歳。豆陽中学師範科中退している。

『岡野喜太郎』の名言・格言一覧(全20件)

岡野喜太郎 勤倹貯蓄をする者に悪いことはできません。難しいことを言わなくても、修身の教科書はなくても、これを徹底・・・

岡野喜太郎 私はもう安閑として机にかじりついている気がしなくなった。学校を退き、家事を手伝って、我が家の危機を乗・・・

岡野喜太郎 この飢饉の最中に、この貧乏村が立ち直るには、世間並みのことをやっていたのでは駄目である。一段と働き一・・・

岡野喜太郎 根方銀行が発足したのとき日本の銀行数は817行、その払込資本金は総計5216万余円であるから一行平均・・・

岡野喜太郎 「馬鹿ッ」と一喝、怒鳴りつけられるかもしれない。そう思って仰ぐと、以外にも父の顔はなごやかで静かであ・・・

岡野喜太郎 困難にあうごとに、いよいよ頭も冴え、いよいよ強くなるのが私の性格である。

岡野喜太郎 非常時にも平常のように営業するのが銀行の使命である。お客様から預かった大切なお金を、この災害(関東大・・・

岡野喜太郎 私は関東大震災で妻と三女を失った。両人は湯河原の天野屋に保養に行く途中、根府川で地震にあい、列車もろ・・・

岡野喜太郎 私は、若い事業家が失敗して、駿河銀行に救済を求めに来ると、肩をたたき、親身になって再起の方法を考えて・・・

岡野喜太郎 銀行は営利法人であるから、ある程度の利益を得なければならないが、非常の場合はとにかく、常に借金をしな・・・

岡野喜太郎 銀行家が注意しなければならぬことは経費の節約である。私の銀行では小さなことから、伝票の一枚一枚にまで・・・

岡野喜太郎 銀行の甲乙は平常のときにはなかなかつきにくいが、非常の場合にはハッキリその差がわかるものである。これ・・・

岡野喜太郎 明治18年の秋は幸いに豊作だったので、村はようやく愁眉を開いたが、天災は時を定めずやってくる。それを・・・

岡野喜太郎 事業家は、1度や2度は失敗しないと大きくならない。あなたはまだ失敗が足りないかもしれぬ。失敗をすると・・・

岡野喜太郎 経営といっても何も難しいことではない。それは平凡に徹することである。私のような何の学問も経験もない者・・・

岡野喜太郎 人のやることは何でもやる。人よりはよくやる。決して人に負けない。それが私の信条であった。また、もって・・・

岡野喜太郎 貯金は人を自立させ、家を繁栄させ、国家を隆盛に導く早道であると、私は信念を持っています。

岡野喜太郎 貯蓄は理論ではありません。克己と実行です。この敗戦による貧乏な日本を立ち上がらせるためには、尋常一様・・・

岡野喜太郎 貯金した金は失うことがあっても、貯蓄の習慣と克己の心は一生失うことがないのです。

岡野喜太郎 波乱の多かった95年間の生涯を顧みて、つくづく思うことは、私の一生は毎日毎日が真剣勝負のようなもので・・・

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