早川徳次 早川徳次

早川 徳次(はやかわ とくじ、1893年(明治26年)11月3日 – 1980年(昭和55年)6月24日)は日本の実業家・発明家。総合家電メーカーシャープ創業者。シャープペンシルやバックル「徳尾錠」の発明で知られる。東京府(現・東京都)出身。大正三美人として知られる江木欣々は異父姉。

『早川徳次』の名言・格言一覧(全31件)

早川徳次 昭和24、5年の苦しさは私の骨身に徹した。こんなことは2度と繰り返したくない。普段からあらゆる場合に・・・

早川徳次 社会に対してお返しもしない事業を持って、「事業は趣味ではない」などとは言ってもらいたくない。

早川徳次 かわいい社員のクビを切ってまで、自分は会社を存続させられない。社長を辞し、会社は解散する。社員を憂き・・・

早川徳次 資本金の残金は材料設備費としてほとんどなくなってしまったから、あとはただ一も二もなく働くことだけであ・・・

早川徳次 私は天災のためとはいえ、一度は東京の事業につまずきもした。また、血涙のにじむような経営苦にあえいだこ・・・

早川徳次 職人たちは自分の技術を取り立てて後輩に教えるようなことはなかった。職人は長年の間に自然と仕事のコツを・・・

早川徳次 事業が順調に進んでいったとすると、おそらく私はシャープペンシル製造に生涯をかけて金属文具界で終始し、・・・

早川徳次 関東大震災に出くわしてぺしゃんこになった私は、それまでいい気になって強がっていた鼻っ柱がいっぺんにど・・・

早川徳次 当時、外国ではすでにラジオは実用の段階に入っており、報道・娯楽の機関として不可欠の地位を占めていた。・・・

早川徳次 昔、坂田さん(丁稚奉公先の工場)にいたとき、縁日の夜店でものを売って以来、シャープペンシルの外交など・・・

早川徳次 もともと私は楽天家の方で、ものごとにあまりいつまでも拘泥してくよくよする性質ではない。忘れっぽいし、・・・

早川徳次 予算と見合った決算を得るためには正確な期末決算の予測を立てなければならない。それには当然、合理的で緻・・・

早川徳次 経営理念で精神面の問題も重視した。愛社精神や団結心などもなおざりにはしなかった。常に社内上下のつなが・・・

早川徳次 会社再建に没入している最中に朝鮮動乱が起きた。にわかに産業経済界が活発となり輸出の急増、内需の活況が・・・

早川徳次 私の会社が戦後他社に先駆け、国産テレビの本格的試作に成功したことも、またテレビ本放送が開始されると同・・・

早川徳次 我らの事業の完成は決して単なる個人の野心や自己満足だけでいいわけはない。事業の公共性という点から私は・・・

早川徳次 私は当年とって69歳になるが、日常会社勤めのほか全国を東奔西走の形で席の温まる暇もない状態である。し・・・

早川徳次 主人の坂田芳松さんは昔かたぎの生粋の江戸っ子で、人情にも厚い人であった。私は社会の第一歩で、こうした・・・

早川徳次 私たちの夢に関連のある超短波研究が偶然のようにやってきた。しかし、よく考えてみると決してこれは偶然で・・・

早川徳次 機を待っていた私であった。準備は万事OK、すかさず本格的な鉱石ラジオセット製作に着手、やがて市販に移・・・

サブコンテンツ