羽鳥兼市 羽鳥兼市

羽鳥 兼市(はとり けんいち、1940年10月12日 – )は実業家、ガリバーインターナショナル(IDM)の創業者、取締役会長。福島県須賀川市生まれ。

江戸時代から続く理髪店を実家に、幼少時代をすごす。
父親は板金塗装業、再生タイヤ工場、洋服の卸し問屋などいくつもの事業を手がけており、子供のころから商売を身近に体感していた。

1959年、県立須賀川高校を卒業し、父が経営していた羽鳥自動車工業に入社。1966年に義兄と羽鳥総業を立ち上げるも、1976年、詐欺に遭い羽鳥総業が倒産。

これを機に中古車業界に転じ、東京マイカー販売を設立して代表取締役社長に就任。

1994年、福島県郡山市に(株)ガリバーインターナショナル・コーポレーション(1996年本社移転にともなってガリバーインターナショナルに商号変更)を設立。

1998年には画像による車販売システム「ドルフィネット」の運営を開始し、2003年に東証一部に上場。

2004年にはアメリカ西海岸に初の海外拠点を置くなど、中古車業界の改革を最前線で推し進めている。

『羽鳥兼市』の名言・格言一覧(全44件)

羽鳥兼市 創業者というのは、会社に未練があるものです。自分も引退など考えたこともなく、120歳まで現役でいると・・・

羽鳥兼市 43歳のとき、支店を出す準備に追われていて、飲むことしか楽しみがなかった。だけどこれでは体が壊れると・・・

羽鳥兼市 社長から報告は受けるが、事業の細かいことに口出ししない。口を出すくらいなら、交代しない方がましだ。事・・・

羽鳥兼市 会長や創業者が元気なうちに退けば、後継者にチャレンジさせ、失敗させる余裕がある。気力と体力が続くまで・・・

羽鳥兼市 最近は不況でクルマが売れないとか、若者のクルマ離れが深刻だとか聞きますが、それは我々自動車業界がクル・・・

羽鳥兼市 中古車業界の中に入ってみると、予想以上に環境が悪かったことをよく覚えています。今でこそかなり中古車業・・・

羽鳥兼市 ガリバーを立ち上げたとき、「中古車業界の未来を創る」という大前提がありましたので、自身と自社の使命と・・・

羽鳥兼市 創業当時、中古車業界を変えるためには、エネルギーを持った店舗を日本全国に敷き詰める必要がありました。・・・

羽鳥兼市 今の社名は、お察しの通り童話の『ガリバー旅行記』が由来になっています。実は、あの童話に出てくるガリバ・・・

羽鳥兼市 実は私ね、子供のころから、何かしら商売の真似ごとのようなことはやっていたんです。例えば、知り合いから・・・

羽鳥兼市 本格的な実業家デビューはもっと後になります。義理の兄と羽鳥総業という会社を立ち上げたんです。でも、そ・・・

羽鳥兼市 中古車を扱い始めてから、改めて素晴らしい可能性を秘めた業界だと認識しましたね。年間で7900万台もの・・・

羽鳥兼市 人間、追い込まれるとものすごくパワーが出るものなんですよね。これは私が社員たちにいつも言っていること・・・

羽鳥兼市 やはり全国統一の値段にするためには、全国の人が一度で見れるような環境のもとで車を展示しなくてはいけな・・・

羽鳥兼市 大型展示場で展示即売会をやっても、売れるのか売れないのか分からない。会場費などを考慮すると、どうして・・・

羽鳥兼市 社員もよくついてきてくれたと思いますよ。実際にガリバーを創設したのは私ですが、中古車業界を変えたのは・・・

羽鳥兼市 自分が置かれている現実を直視したということだと思います。それまでは現実を認めることが恐ろしくて、目を・・・

羽鳥兼市 (ガリバー創業時に5年で500店舗を目標にしたことは)正確にいうと、500店舗つくるのが目標ではあり・・・

羽鳥兼市 創業時、不透明な中古車業界の仕組みを変革することが目標でした。近年は自動車メーカーも買い取り事業へ参・・・

羽鳥兼市 逆境を楽しむには「自分はこうなりたい」という志を高く持っているかどうかだと思います。社員によく話すの・・・

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