福沢諭吉 福沢諭吉

福澤 諭吉(ふくざわ ゆきち、新字体福沢 諭吉、天保5年12月12日(1835年1月10日)- 明治34年(1901年)2月3日)は、日本の武士(中津藩士のち旗本)、蘭学者、著述家、啓蒙思想家、教育者。慶應義塾の創設者であり、専修学校(後の専修大学)、商法講習所(後の一橋大学)、土筆ヶ岡養生園(後の北里研究所)、伝染病研究所(現在の東京大学医科学研究所)の創設にも尽力した。新聞『時事新報』の創刊者。他に東京学士会院(現在の日本学士院)初代会長を務めた。そうした業績を元に明治六大教育家として列される。昭和59年(1984年)から日本銀行券一万円紙幣表面の肖像に採用されている。諱は範(はん)。字は子囲(しい、旧字体子圍)。揮毫の落款印は「明治卅弐年後之福翁」。雅号は、三十一谷人(さんじゅういっこくじん)。もともと苗字は「ふくさわ」と発音していたが、明治維新以後は「ふくざわ」と発音するようになった。 現代では「福沢諭吉」と表記されることが一般的である。なお「中村諭吉」と名乗っていた時期がある。

『福沢諭吉』の名言・格言一覧(全94件)

福沢諭吉 慈悲の情に乏しく、廉恥の心を失い、道理の世界を逸して財貨をむさぼることを「吝」と名付け、一身一家の生・・・

福沢諭吉 単に専門の学者だけが出現しても、それを活用する国民がなくては、その学問も実際の役には立たない。

福沢諭吉 教育家の配慮がどんなに行き届いても、生まれ付きの愚者を知者に変えることはできないのはもちろん、どんな・・・

福沢諭吉 西洋の諸強国が海外に兵士を駐屯させる場合、その地には公認の遊女が必ず居る。そうでないときは、政府筋か・・・

福沢諭吉 事業で一番大切なのは、信用できる人物を得て取り締まりの手を省くという事にある。番頭や手代が商売しなが・・・

福沢諭吉 利益の側からだけ見ても、人の信用こそ商売での利益の根源なのだから、人に雇われる者は、自分の利益になる・・・

福沢諭吉 ネズミをよく捕る猫は爪を隠すという。隠すのはよいが、生涯隠し続けてネズミを捕らなければ爪がないのに等・・・

福沢諭吉 仕事のほうからやってきて人を求めることはない。こちらから進んで求めるのでなければ、結局は仕事にはめぐ・・・

福沢諭吉 遠方に離れている友人が1年も2年も音信不通であったのが、何か心に感ずることがあったのか、あるいは大切・・・

福沢諭吉 立派な人物にとって交際面で大切なのは、小事にこだわらず磊落(らいらく)であること。時には無責任な放言・・・

福沢諭吉 世間の人たちと交際するに当たって、特に被害を受けることもなく自身の独立を妨げることもない限りは、言行・・・

福沢諭吉 「足ることを知る」という教えは、一個人の私に適している場合はあるかもしれないが、国としては、千万年の・・・

福沢諭吉 学校の卒業などということは大して意義はない。

福沢諭吉 四畳半くらいの部屋に何十人もおれば空気が濁る。濁ればどうするか。窓を開けて空気を入れ替えねばならぬ。・・・

福沢諭吉 ただ戯れと知りつつ戯れれば心安くして戯れの極端に走ることなきのみか、時にあるいは俗界百戯の中に雑居し・・・

福沢諭吉 人生本来戯れと知りながら、この一場の戯れを戯れとせずしてあたかも真面目に勤め、貧苦を去って富楽に志し・・・

福沢諭吉 しかるにかの凡俗の俗世界に貴賎貧富、栄枯盛衰などとて孜々(しし)経営して心身の労するその有様は、庭に・・・

福沢諭吉 カゲロウは朝に生まれて夕に死すというといえども、人間の寿命に比べてさしたる相違にあらず。蚤と蟻と背比・・・

福沢諭吉 宇宙の間に我が地球が存在するのは、大海に浮かべるケシの一粒というも中々おろかなり。我々の名づけて人間・・・

福沢諭吉 人生は芝居のごとし、上手な俳優が貧乏になることもあれば、大根役者が殿様になることもある。

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