杉山金太郎 杉山金太郎

杉山 金太郎(すぎやま きんたろう、明治8年(1875年)9月19日 – 昭和48年(1973年)3月10日)は、日本の実業家。豊年製油(現J-オイルミルズ)会長。長男・元太郎の妻・淑子は元式部官牧野伸通(明治の元勲・大久保利通の二男牧野伸顕の長男)の次女。

『杉山金太郎』の名言・格言一覧(全14件)

杉山金太郎 私は豊年製油の経営を引き継いだのだけれど、工場はすべて台湾銀行に650万円のカタで担保に入っている。・・・

杉山金太郎 高名な実業家の和田豊治さんが富士紡の社長を長年やって、いつも言っておられたのは、すべての工業は一に原・・・

杉山金太郎 製油業は非常に投機的なものであり、大連には油房という製油工場みたいなものがたくさんあった。そこにいる・・・

杉山金太郎 昭和二年の金融恐慌のため、鈴木商店(戦前の財閥のひとつで豊年製油の親会社)は一敗地にまみれ整理を余儀・・・

杉山金太郎 会社の経営にはふたつの行き方があって、そのひとつは多角経営であり、もうひとつは特定の少数の品物に全能・・・

杉山金太郎 私が米国に行ったのは第一次欧州大戦当時であるが、各地を旅行してみると、土地は広いし天然資源には恵まれ・・・

杉山金太郎 いったい「豆かす」という言葉は非常に聞こえの良くないものである。こういう言葉遣いは日本だけで、中国で・・・

杉山金太郎 大豆油を食用にし、脱脂大豆(油を搾ったあとのいわゆる「豆かす」)を、醤油、味噌、豆腐の三大用途に使う・・・

杉山金太郎 先生、そんなことを言うのは、私に死刑の宣告を与えると同じですよ。私は会社に出てくるのが唯一無二の楽し・・・

杉山金太郎 一寒村の小農の家庭に生まれたため、幼少から、常にものを大切にするように、しつけられてきた。そのためか・・・

杉山金太郎 私の性格として、自分ながらあまりに潔白であることを自覚している。「水清くして魚住まず」というように、・・・

杉山金太郎 米国貿易会社で、私は大変な厚遇を受けており、好景気の波に乗って夢中になって仕事をしている限り、居心地・・・

杉山金太郎 さすがは正金銀行で、頼んだ以上は高いも安いもいわない。分厚いリストを全部私に任せてくれた。ここで悪い・・・

杉山金太郎 私は学校時代から考えていたのだが、商売人は、ときとすると、駆け引きをして嘘をつくことを商売の常道と考・・・

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