30歳で心身症の一種であるメニエール病にかかってしまい、それまでのペースで働くことができなくなった。そこで出世コースから降りて、専門職へと方向を転換したんです。以後、40歳でリクルートを辞めるまで収入は固定されたままでしたが、新規事業の立ち上げや欧州駐在など、やりたいことをやらせてもらいました。思うに、僕の場合は、自分が本当にやりたいことを病気が教えてくれたんですね。そのおかげでキャリアを複線化させる準備ができたから、ラッキーだったとも言えます。
- 藤原和博 -
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しれば迷ひしなければ迷はぬ恋の道
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ベストウェイ(最適な選択肢)というのは、双方の意見とは別のところにあるのではないだろうか。ディスカッ...
言い訳は解決への執念を鈍らせる。
天下才なきにあらず、用うる人なきのみ、哀しいかな。
私は当年とって69歳になるが、日常会社勤めのほか全国を東奔西走の形で席の温まる暇もない状態である。し...
自己紹介でやってはいけないのは、名刺を差し出して、「私、こういう者です」としか言わないパターンです。...
最も重視する能力は一生懸命働く意識の高さですね。ウサギとカメと同じですよ。仕事が楽しいと言っている社...