当然のことながらサラリーマンには、必ず上司がいます。係長はミスをしたら課長に謝りますし、課長は部長に謝ります。すると上司に謝ることでそのミスを許してもらえるような気になってしまう。しかし社長になるともう謝っても許してくれる上司がいない。このことに気づいた時、自分の社長としての責任が最終的なものであり、ものすごく重いものだということを実感し少し戸惑いを感じました。しかし同時に、社長になれば自分で新しい成長のシナリオを描きその実現に挑戦できるかもしれないというやりがいも感じました。
- 松村誠一 -
人気の名言・格言
志は当に高遠に存すべし(志はどこまでも高く掲げねばならない)
人々は闇の中から出てくる何かを見つけることで闇の中から救われることができる。
誰かを越すとか、誰かに抜かれるとかではなく自分ができる最大の努力をする。
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