私の会社が戦後他社に先駆け、国産テレビの本格的試作に成功したことも、またテレビ本放送が開始されると同時に量産体制に入れたことも、決してそれと調子を合わせて一朝一夕にポンとできたものではない。いずれもそれまでの長年の研究がものをいったのであった。
- 早川徳次 -
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不一致があれば、私たちは調和をもたらしたい。誤りがあれば、私たちは真実をもたらしたい。疑問があれば、...
とにかく、考えてみることである。 工夫してみることである。 そして、やってみることである。 失敗す...
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逆境が人格を作る。
昭和24、5年の苦しさは私の骨身に徹した。こんなことは2度と繰り返したくない。普段からあらゆる場合に・・・
