当時、外国ではすでにラジオは実用の段階に入っており、報道・娯楽の機関として不可欠の地位を占めていた。わが国でも愛宕山に放送局(NHK)が開設される運びで、一部の電気器具店や輸入商ではラジオ機械の研究に手を付け始めていた。アメリカ製のラジオは貴重なものだった。事業は常に新しいアイデアで他より一歩先にと新分野を開拓していかなければ、とうてい成功は望めない。私はたまたま買い入れたこの鉱石ラジオセットに異様なまでに関心を寄せた。
- 早川徳次 -
人気の名言・格言
不一致があれば、私たちは調和をもたらしたい。誤りがあれば、私たちは真実をもたらしたい。疑問があれば、...
とにかく、考えてみることである。 工夫してみることである。 そして、やってみることである。 失敗す...
少数の真剣な求道者のみが時制の運命を徹見(てっけん)し、社会を善導することができる。
人の精神は目にあらわれる。だから、人を見る時には、目を見ることが大切。
人は変わらざる中心がなければ、変化に耐えることができない。変化に対応する能力を高めるには、自分は誰な...
どんなことでも文字通りの伝達機関になっては駄目だ、自分自身で理解しなければどんな問題でも取り次いでは...
ミスミを経営していた頃ですが、はじめはメーカーの販売代理店でした。しかし一時、売ろうとしていた商品が...
自分たちは異質な商品をつくり、新しい道を探さなくてはならない。そう腹をくくったのが、新しい据え置き型...
意見の一致には危険が潜む。何についても特定の意見を持たない人々を満足させようと試みることになりかねな...
逆境が人格を作る。
昭和24、5年の苦しさは私の骨身に徹した。こんなことは2度と繰り返したくない。普段からあらゆる場合に・・・
