32歳で独立したんだけど、コネもないしお金持ちの親戚縁者もいなかったから仕事はほとんどゼロ。個人住宅の風呂場の改修とか、台所の改修とか、はじめは本当に小さい仕事で食いつないでいました。ただ、若かったから不思議に焦りもなかった。いずれちゃんとした仕事をやれる時期が来るだろうと。若者というのは、霞のおにぎりに夢を振りかけて食べていても生きていけるんです。ほかの職業のことはわからないけど、それくらいの覚悟がなければ、建築家ってやっていけない職業ですからね。いま思えば、あの頃は霞と夢が主食だったな。
- 中村好文 -
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