昭和二年の金融恐慌のため、鈴木商店(戦前の財閥のひとつで豊年製油の親会社)は一敗地にまみれ整理を余儀なくされた。その結果、豊年製油の株式はすっかり台湾銀行の所有に帰してしまった。「杉山君、ぜひ適当な資本家を探して、これ(豊年製油株)を引き受けてくれるよう交渉してくれないか」と台湾銀行から再三頼まれた。日本の主な財閥にこの事業を引き受けてもらえないだろうかと依頼して回ったが、いずれも断られた。いよいよこれは自分自身の手で、全責任を負って立つより方法がないと思い、杉山個人が譲り受けることになった。
- 杉山金太郎 -
人気の名言・格言
私が自信を持って出来ることは、自分自身であること。たとえ自分という存在が、どんな人間であろうとも。
僕がいつも言っていることは基本に忠実になれということです。基本に忠実なんて言うといやな顔をする人が多...
いまは楽しいから仕事をしている。そういう意味では、私のビジネスのやり方は、クイズに挑戦するのとあまり...
父親は子供が最初に出会う、人生の邪魔者でいいのだ。子供に嫌われることを、父親は恐れちゃいけない
「いかに戦うか」は大局観にかかわるが、その具体的な戦略は事前研究が決め手になる。事前にしっかり準備し...
事をなすは誠にあり。
君という人間は君の行為自体の中に宿っている。君の行為こそ君なのだ。もうそれ以外のところに君はない!
創造的な領域では、基準とするものがない。真っ暗闇で嵐が吹きすさぶ海原を、羅針盤も持たず航海していくよ...
有事に強い者、それは不真面目な劣等生。
生きている間に、他人を苦しめ泣かせた人は、死んだときには喜ばれ笑われます。 生きているときに人を喜ば...