寺田寅彦 寺田寅彦

寺田 寅彦(てらだ とらひこ、1878年(明治11年)11月28日 – 1935年(昭和10年)12月31日)は、戦前の日本の物理学者、随筆家、俳人であり吉村冬彦(大正11年から使用)、寅日子、牛頓(“ニュートン”)、藪柑子(“やぶこうじ”)の筆名でも知られる。高知県出身(出生地は東京市)。

『寺田寅彦』の名言・格言一覧(全30件)

寺田寅彦 ものを怖がらなさ過ぎたり、怖がり過ぎたりするのはやさしいが、正当に怖がることはなかなか難しい。

寺田寅彦 美術家は時に原始人に立ち返って自然を見なければならない、宗教家は赤子の心にかえらねばならない、同時に・・・

寺田寅彦 けがを怖れる人は大工にはなれない。失敗をこわがる人は科学者にはなれない。科学もやはり頭の悪い命知らず・・・

寺田寅彦 頭のいい人はいわば富士のすそ野まで来て、そこから頂上をながめただけで、それで富士の全体をのみこんで東・・・

寺田寅彦 私は猫に対して感ずるような純粋なあたたかい愛情を人間に対していだく事のできないのを残念に思う。そうい・・・

寺田寅彦 きのうの出来事に関する新聞記事がほとんどうそばかりである場合もある。しかし数千年前からの言い伝えの中・・・

寺田寅彦 ばかを一ぺん通って来た利口と始めからの利口とはやはり別物かもしれない

寺田寅彦 頭のいい人は批評家に徹するが、行為の人にはなりにくい。すべての行為には危険が伴うからである。

寺田寅彦 自然現象の不思議には、自分自身の眼で驚異しなければならぬ。

寺田寅彦 愛憎はよくないと言って愛憎のない世界がもしあったら、それはどんなにさびしいものかもわからない。

寺田寅彦 科学者になるには自然を恋人としなければならない。自然はやはりその恋人にのみ真心を打ち明けるものである・・・

寺田寅彦 子供を教育するばかりが親の義務でなくて、子供に教育されることもまた親の義務かもしれないのである。

寺田寅彦 いわゆる頭のいい人は、言わば足の早い旅人のようなものである。人より先に人のまだ行かない所へ行き着くこ・・・

寺田寅彦 最後の一歩というのが実はそれまでの千万歩より幾層倍むつかしいという場合が何事によらずしばしばある。

寺田寅彦 健康な人には病気になる心配があるが、病人には回復するという楽しみがある。

寺田寅彦 興味があるからやるというよりは、やるから興味ができる場合がどうも多いようである。

寺田寅彦 私の方では年齢の事など構わないでいても、年齢の方では私を構わないでおかないだろう。

寺田寅彦 雪は天からの手紙である。

寺田寅彦 科学はやはり不思議を殺すものではなく、不思議を生み出すものである。

寺田寅彦 「心の窓」はいつでもできるだけ数をたくさんに、そうしてできるだけ広く開けておきたいものだ

サブコンテンツ