プラユキ・ナラテボー プラユキ・ナラテボー

プラユキ・ナラテボー(Phra yuki Naradevo)は、タイ上座部仏教の日本人僧侶。日本名は坂本秀幸。1962年、埼玉県本庄市生まれ。上智大学文学部哲学科に在学中、「解放の神学」を実践するカトリック司祭ルベン・アビト教授に師事し、障害者支援やNGOであるRASA(アジアの農村と連帯する会)の活動に携わる。上智大学卒業後、タイのチュラロンコン大学大学院に留学し、「農村開発におけるタイ僧侶の役割」を研究。その傍ら、NGOで他者のためを思って活動していたが、自分の心の開発を疎かにしていたために、やればやるほど疲弊する状況にあった。そんな折りに出会ったタイの開発僧たちの姿に魅かれ、出家を決意する。1988年7月、ルアンポー・カムキアン師の下で出家。スカトー寺副住職を務める。6年間、頭陀行を行いながら開発僧として活動する一方、チャルーン・サティ(気づきの瞑想)など各種の瞑想を学ぶ。1994年、ルアンポー・カムキアン師の渡米に通訳兼アシスタントとして同行、中国系寺院に半年間滞在して瞑想指導を行う。1995年、出家後初めて日本に帰国し、在日タイ人の支援活動や、日本人に向けた瞑想指導を開始。1999年頃にかけて毎年日本を訪れ、各地のタイ人コミュニティを徒歩で巡る。近年、ブッダの教えをベースにした心理療法的なアプローチにも取り組み、自身が副住職をつとめるスカトー寺で定期的に開催されている医師や看護師、理学療法士など医療従事者のためのリトリート(瞑想合宿)でも指導を担当する。たびたび日本にも招かれて帰国し、各地の大学や寺院、カルチャーセンターでの講演や、有志による瞑想会などで活動している。

『プラユキ・ナラテボー』の名言・格言一覧(全30件)

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プラユキ・ナラテボー 自分自身がキーパーソンだと気づいたとき、現実を変えていく力が取り戻される。

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