高杉晋作 高杉晋作

高杉 晋作(たかすぎ しんさく、天保10年8月20日(1839年9月27日)- 慶應3年4月14日(1867年5月17日))は、江戸時代後期の長州藩士。

幕末に長州藩の尊王攘夷の志士として活躍した。
奇兵隊など諸隊を創設し、長州藩を倒幕に方向付けた。

諱は春風(はるかぜ)。通称は晋作、東一、和助。字は暢夫(ちょうふ)。

号は初め楠樹、後に東行(とうぎょう)と改め、東行狂生、西海一狂生、東洋一狂生とも名乗った。他に些々などがある。

変名を谷 潜蔵、谷 梅之助、備後屋助一郎、三谷和助、祝部太郎、宍戸刑馬、西浦松助など。のち、谷 潜蔵と改名。

栄典は贈正四位(1891年(明治24年)4月8日)。

『高杉晋作』の名言・格言一覧(全35件)

高杉晋作 死後に墓前にて芸妓御集め三弦など御鳴らし御祭りくだされ

高杉晋作 太閤も天保弘化に生まれなば、何も得せずに死ぬべかりけり。

高杉晋作 生きるか死ぬかは時機に任せよう。世の人が何と言おうと、そんなことは問題ではないのだ。

高杉晋作 三千世界の鴉を殺しぬしと朝寝をしてみたい

高杉晋作 後れても 後れてもまた 後れても 誓ひしことを豈忘れめや

高杉晋作 友人の信頼の度合いは人の死や緊急事態、困難の状況の時に分かる。

高杉晋作 直言実行、傍若無人、死を恐れない気迫があるからこそ、国のために深謀深慮の忠も尽くせるのだ。

高杉晋作 男児が事を成すには時があるのだ。たとえ市井の侠客と呼ばれても、胸にある一片の素の心は全く変わっていな・・・

高杉晋作 人は人 吾は吾なり山の奥に 棲みてこそ知れ世の浮沈

高杉晋作 人は旧を忘れざるが義の初め。

高杉晋作 世間の人々は名誉や利益を追って走っている。そんな時代に利益や名誉を捨てる僕のようなものが他にいるだろ・・・

高杉晋作 翼あらば 千里の外も飛めぐりよろづの国を 見んとしぞおもふ

高杉晋作 同志と共に国を作ろうとしている。曲がった国が真っ直ぐになるのはいつか分からない。その苦労は死んでから・・・

高杉晋作 負けて退く人をよわしと思うなよ。知恵の力の強きゆえなり。

高杉晋作 天賦のかんによって、その場その場で絵をかいてゆけばよい。

高杉晋作 天地も人も皆気のみである。気を養えば、人間あとは行動に移すのみだ。

高杉晋作 戦いは一日早ければ一日の利益がある。まず飛びだすことだ。思案はそれからでいい。

高杉晋作 先が短いなら短いなりに僕は面白う生きたい。派手な打ち上げ花火を打ち上げて、消えていく…それが高杉晋作・・・

高杉晋作 人間というのは困難は共にできる。しかし富貴は共にできない。

高杉晋作 心すでに感ずれば、すなわち、口に発して声となる。

サブコンテンツ