お前たち家来の間にも、気が合うか気が合わないかによって、仕置をする上に過ちができることがあろう。気の合う者に対して贔屓して、悪いことも善く思い、あるいは悪いと知りながら、自然とそれに親しむようになるものである。気の合わない者に対しては、善人をも悪人と思い、道理をも無理のように思い誤ることがある。気が合う家来、会わない家来とでは、仕置の上にもこのような私心ができてくるものであるから、みな、よく注意せねばならぬ。
- 黒田孝高 -
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