日本で新型インフルエンザが大流行していた頃のことです。マスクが飛ぶように売れ、エステーでも増産に次ぐ増産を指示していました。しかし、調子に乗った時が危ない。ある時、ふとそう思って減産を決断しました。まだマスク需要が旺盛だった段階だったので、社内からは大反対に遭いました。それでも私は譲らなかった。しばらくすると、新型インフルエンザ騒ぎは沈静化して、あっという間にマスク市場は冷え込みました。大量の返品に苦しむメーカーが何社かありましたが、エステーは難を逃れました。
- 鈴木喬 -
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