70年代に入ると、ファッション誌『アンアン』、『ノンノ」が創刊されるなど、ちょうど日本の女性たちがファッションに関心を持ち始めていました。豊かな時代への変わり目でした。ところが、当時の子供服は、時代の要求を満たしていなかったわけです。それを満たすものは、僕の風呂敷の中にあるという自信がありました。 - 木村皓一 - 前の名言 商売をはじめたばかりで、買ってもらいたいと... 次の名言 ちょうど長男が生まれたので、子供服には関心... 木村皓一のその他の名言・格言(全42件) 特別な得意技があったわけでもなく、ただ、遠くを見ながらやってきました。自分の中で、変えてはならない目・・・ 起業することは女房にも内緒でした。言ったら、絶対に反対されますから。絶好のチャンスとなったのは、女房・・・ 創業当時は学校を出て縫製工場に勤めていた若い女性がたくさんいたのですが、結婚すると仕事を辞めてしまう・・・ 創業当時からいいブランドを買えるお客さんにしか、自分の製品は使ってほしくないと思っていました。とにか・・・ 創業時、はじめてつくったサンプルを持って売りに出かけましたが行った先々で断られてしまいました。「なん・・・ 人を採用して、私自身が一番変わりました。4年制大学を出た前途ある若者たち。どこの色にも染まっていない・・・ 実は私は小さいころ、小児麻痺で歩けませんでした。小学生のころはそのハンデをいいことに、言い訳して人に・・・ 人はほめて育てろです。いいところを一所懸命ほめてあげて、悪いところはちょっとおさえるくらいにすると、・・・ 若いころ、フランスで友人に勧められてワインのロマネ・コンティを飲みました。言わずと知れた何十万円もす・・・ イメージアップのために、フランスの一等地にも店を出しました。それは、利益のためではなく、ブランド力を・・・ 木村皓一の全名言・格言を見る(全42件) 偉人の名前を姓名判断で見るとすごい結果に?!