実は私は小さいころ、小児麻痺で歩けませんでした。小学生のころはそのハンデをいいことに、言い訳して人に頼ることばかりを考えていました。ところが、4年生になって好きな女の子ができたとき、その子から得られるのは同情だけだということに気づいたんです。体がきかないうえに、心まで傷つきましてね。初めて真剣に体を治そうと思いました。「よし、3年計画で治そう」。口から心臓が飛び出すくらい痛いマッサージも、好きな子のことを考えて歯を食いしばりました。治すために何でもしようとがんばったんです。そんな生活が成長著しい中学時代と重なったからか、治り出してからは早かったです。中学3年生のときにはふつうに歩けるようになりました。 - 木村皓一 - 前の名言 人はほめて育てろです。いいところを一所懸命... 次の名言 人を採用して、私自身が一番変わりました。4... 木村皓一のその他の名言・格言(全42件) 特別な得意技があったわけでもなく、ただ、遠くを見ながらやってきました。自分の中で、変えてはならない目・・・ 起業することは女房にも内緒でした。言ったら、絶対に反対されますから。絶好のチャンスとなったのは、女房・・・ 創業当時は学校を出て縫製工場に勤めていた若い女性がたくさんいたのですが、結婚すると仕事を辞めてしまう・・・ 創業当時からいいブランドを買えるお客さんにしか、自分の製品は使ってほしくないと思っていました。とにか・・・ 創業時、はじめてつくったサンプルを持って売りに出かけましたが行った先々で断られてしまいました。「なん・・・ 人を採用して、私自身が一番変わりました。4年制大学を出た前途ある若者たち。どこの色にも染まっていない・・・ 人はほめて育てろです。いいところを一所懸命ほめてあげて、悪いところはちょっとおさえるくらいにすると、・・・ 若いころ、フランスで友人に勧められてワインのロマネ・コンティを飲みました。言わずと知れた何十万円もす・・・ イメージアップのために、フランスの一等地にも店を出しました。それは、利益のためではなく、ブランド力を・・・ 企業と顧客の関係性について、私は8:2の原則を打ち出しています。8がお客様に行き、自分の取り分は2で・・・ 木村皓一の全名言・格言を見る(全42件) 偉人の名前を姓名判断で見るとすごい結果に?!