入社当時私が感じていたのは、民間企業に対する強烈なコンプレックスだったんです。専売公社は国の公共企業で親方日の丸、ダサい名前の会社だと思われていた。民間はバラ色だけど僕らはネズミ色みたいだと。その感情がバネになりました。国内が縮小する以上、国際化や多角化を達成しないと、いつまでもそのコンプレックスから抜けられないという危機感が、原動力になった。
- 小泉光臣 -
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