60歳にもなれば、何事をもうち捨てて、一度唱えるたびに後生一大事ということを祈願して念仏を唱えるといいだろう。それくらいの歳になれば、たとえ子が亡くなり孫を失っても、浮世の無常に気を落とすことなく、ますます道のために努力し、我々はこの世にないものだと覚悟して、すべての煩悩を思い切るといいだろう。(この世を去った)親や子のことを思っても、無常の風にひとたび誘われた人は、再びこの世へ帰って来ることはないのである。
- 北条重時 -
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