弓矢をとる身(武力を行使する立場)の常として、義理ということを忘れてはならない。武士の道として、心と技とは車の両輪のように考えるべきだ。義理をわきまえている人というのは、身が滅び家を失うような事があっても、正義を曲げずに、強敵たりとも屈せず、常に真心をもって事にあたるのを指すのである。
- 北条重時 -
人気の名言・格言
不一致があれば、私たちは調和をもたらしたい。誤りがあれば、私たちは真実をもたらしたい。疑問があれば、...
とにかく、考えてみることである。 工夫してみることである。 そして、やってみることである。 失敗す...
少数の真剣な求道者のみが時制の運命を徹見(てっけん)し、社会を善導することができる。
人の精神は目にあらわれる。だから、人を見る時には、目を見ることが大切。
人は変わらざる中心がなければ、変化に耐えることができない。変化に対応する能力を高めるには、自分は誰な...
どんなことでも文字通りの伝達機関になっては駄目だ、自分自身で理解しなければどんな問題でも取り次いでは...
ミスミを経営していた頃ですが、はじめはメーカーの販売代理店でした。しかし一時、売ろうとしていた商品が...
自分たちは異質な商品をつくり、新しい道を探さなくてはならない。そう腹をくくったのが、新しい据え置き型...
意見の一致には危険が潜む。何についても特定の意見を持たない人々を満足させようと試みることになりかねな...
逆境が人格を作る。
何ごとにつけても良いことがあれば次にまた悪いこともおこるもので、その点をよく考えて悪い事の起らぬ先に・・・
