八月まで、まだ数日あったので、私はそのあと危険な山旅からのがれ、チェルビニアの近辺に咲く高山植物を採って歩いた。道からはずれた手の届かない岩棚の上に、エーデルワイスの花を見つけたのはうれしかった。誰に見られることもなく風にゆれ、七、八輪の花を咲かせているのだった。そのエーデルワイスの姿は、私を感傷的にした。人の目につくような登山より、このエーデルワイスのように誰にも気づかれず、自然の冒険を自分のものとして登山をする。これこそ単独で登っている自分があこがれていたものではないかと思った。
- 植村直己 -
人気の名言・格言
僕は会議の時間をもっと有意義に使いたいと考えた。会議の大半は、要するに説明の時間なのだ。これを短縮す...
私が恐れるのは、1万通りの蹴りを1度ずつ練習した者ではない。たった1つの蹴りを1万回練習した者だ
『ありがとう』の言える人間になりなさい。『ごめんなさい』の言える人間になりなさい。嘘をつくような人間...
一番肝心なことは、悪いことが起きたからといって、嘆き悲しむことはないということです。悪いことは長く続...
問題はあらかじめ模範回答があると信じて、それを見つけると問題は解決したと安心してしまう。しかし、こう...
何としても事業を成功させたいという強い「思い」や、格闘技にも似た「闘争心」のない者は、そもそも経営者...
愛の反対は憎しみではなく、無関心です。世界で一番恐ろしい病気は、孤独です。
仕事をするうえで心得ておくべきことは、一にも準備、二にも準備、三にも準備。徹底した準備が仕事を成功さ...
統括会長(父のロッテ創業者の重光武雄氏)も昔は銀行に非常に苦労しています。ですから私もあまり借り入れ...
年俸や報酬は一定の目標をクリアして得られるものですが、私どものようなマニュアルを中心とする業務では個...
必ず壁はあるんです。それを乗り越えたとき、パッとまた新しい世界がある。だから厳しく自分を鞭打ってやっ・・・
