最高の教育を受けた人間も、その後の自己陶冶(とうや)を欠いては、立派な人間にはなり得ない。ごく劣悪な教育も、自己陶冶によっては、なお改善され得るものである。いかにも人間は陶冶次第です。「陶」とは焼き物をつくる、「冶」とは冶金の冶で、金属を精錬することであります。土を練り、焼いて、陶器をつくる。鉄を鍛えて鉄器をつくるようなもので、人間もやはり、焼きを入れ、鍛えるということをやらなければ、ものになりません。いくつになってもそうであります。
- 安岡正篤 -
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