武田信玄 武田信玄

武田 信玄(たけだ しんげん) / 武田 晴信(たけだ はるのぶ)は、戦国時代の武将、甲斐の守護大名・戦国大名。甲斐源氏の嫡流にあたる甲斐武田家第19代当主。諱は晴信、通称は太郎(たろう)。「信玄」とは(出家後の)法名で、正式には徳栄軒信玄。大正期に従三位を贈られる。甲斐の守護を務めた甲斐源氏武田家第18代・武田信虎の嫡男。先代・信虎期に武田氏は戦国大名化し国内統一を達成し、信玄も体制を継承して隣国・信濃に侵攻する。その過程で越後国の上杉謙信(長尾景虎)と五次にわたると言われる川中島の戦いで抗争しつつ信濃をほぼ領国化し、甲斐本国に加え信濃、駿河、西上野、遠江、三河と美濃の一部を領し、次代の勝頼期にかけて領国を拡大したものの、西上作戦の途上に三河で病を発し、信濃で病没した。江戸時代から近現代にかけて『甲陽軍鑑』(以下『軍鑑』)に描かれる伝説的な人物像が世間に広く浸透し、「風林火山」の軍旗を用い、甲斐の虎または、龍朱印を用いたことから甲斐の龍とも呼ばれる。兜は、諏訪法性兜。

『武田信玄』の名言・格言一覧(全29件)

武田信玄 百人のうち九十九人に誉めらるるは、善き者にあらず。

武田信玄 晴信(信玄)の弓矢は欲のためではなく、民百姓を安楽にするためだと民に知らせれば、わしが軍を進めるのを・・・

武田信玄 人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり。

武田信玄 戦いは五分の勝利をもって上となし、七分を中となし、十分をもって下となる。五分は励みを生じ、七分は怠り・・・

武田信玄 勝敗は六分か七分勝てば良い。八分の勝ちはすでに危険であり、九分、十分の勝ちは大敗を招く下地となる。

武田信玄 三度ものをいって三度言葉の変わる人間は、嘘をつく人間である。

武田信玄 為せば成る為さねば成らぬ成る業(わざ)を成らぬと捨つる人のはかなき

武田信玄 風林火山 –疾(と)きこと風の如く、徐(しず)かなること林の如く、侵掠(しんりゃく)すること火の如く・・・

武田信玄 今後は、一人働きは無用である。足軽を預かっていながら独りよがりの行動をとれば、組の者は組頭をなくし、・・・

武田信玄 大将たる者は、家臣に慈悲の心をもって接することが、最も重要である。

武田信玄 我、人を使うにあらず。その業を使うにあり。

武田信玄 晴信(信玄)が定めや法度以下において、違反しているようなことがあったなれば、身分の高い低いを問わず、・・・

武田信玄 いくら厳しい規則を作って、家臣に強制しても、大将がわがままな振る舞いをしていたのでは、規則などあって・・・

武田信玄 もう一押しこそ慎重になれ。

武田信玄 一日ひとつずつの教訓を聞いていったとしても、ひと月で三十か条になるのだ。これを一年にすれば、三百六十・・・

武田信玄 自分のしたいことより、嫌なことを先にせよ。この心構えさえあれば、道の途中で挫折したり、身を滅ぼしたり・・・

武田信玄 戦いは四十歳以前は勝つように、四十歳からは負けないようにすることだ。ただし二十歳前後は、自分より小身・・・

武田信玄 人間にとって学問は、木の枝に繁る葉と同じだ。

武田信玄 信頼してこそ人は尽くしてくれるものだ。

武田信玄 渋柿は渋柿として使え。継木をして甘くすることなど小細工である。

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