当時ニューリーダーと言われていた竹下登、安倍晋太郎、宮沢喜一、中川一郎の各先生の中で、竹下先生は最年少で官房長官になるほど出世が早いこともあって、「あいつはずるい」「やりすぎだ」といった批判を受けないよう気を遣っていたと思います。竹下先生は政治の妬み、僻み、やっかみが渦巻く世界で生き抜くためには、手柄を人に渡すことで、少しでもこのリスクを下げようとしたのでしょう。そのため日ごろから一生懸命汗を流し、人のために頑張っている姿を見せることで、いずれは必ず自分に返ってくるはずだと考えていたのでしょう。
- 鈴木宗男 -
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