日の丸を背負ってする仕事の究極の例が、戦後満州からシベリアに抑留された日本人の強制労働でしょう。私が見たのは、旧ソ連のウズベキスタンにいまも残るナヴォイ劇場です。作業に従事した500人の日本人のうち、60人が事故で亡くなるという苛酷な環境の中で、彼らはいっさい手を抜かずに仕事をしました。強制労働であるにもかかわらずです。1966年に大地震が起きたとき、唯一倒壊せずに残ったのがこのナヴォイ劇場だったと言われています。
- 竹田恒泰 -
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