私の場合、最初から自分に強みがあったわけではありません。新卒で入社した旭硝子では、化学品工場に配属されました。会議中、優秀な同期が先輩社員に向かって物怖じせずに発言する一方で、私は一言も話せませんでした。何しろ学生時代はラグビー一色でしたので、化学の知識はほとんどありませんでした。それで逆にスイッチが入りました。わからないこと、納得のいかないことがあるなら工場の技術者を質問攻めにして教えを請いました。貪欲に知識を吸収していった結果、2年後には優秀な同期に「玉塚君の吸収力とバイタリティには負けたよ」と言われるまでになっていました。 - 玉塚元一 - 前の名言 ビジネススクールでの2年間、それこそ必死で... 次の名言 仕事をする上で目標を持つことは、何年働いて... 玉塚元一のその他の名言・格言(全38件) 社会人のスタートが工場勤務だったのは幸運だったと思う。厳しい品質管理やコスト競争力を学べたうえに、現・・・ ファーストリテイリングで知ったのは、商売を成功させるには共通の原理原則があるということ。例えば、明確・・・ 成城石井と一緒になってつくづくその強みを感じました。強い商品がどの商品分野にも必ずあるんですよね。こ・・・ 僕は、自分も走るが、みんなを鷲づかみにしながら走るタイプ。ばっとみんなを集めて、周囲を巻き込む。それ・・・ どんどん革新を実現し、死ぬほど頑張ってローソンを成長させたい。 ファーストリテイリングは社長を3年務めて去りましたが、思い返せば私の力不足、未熟な部分が多々ありまし・・・ 私が就任したころのユニクロはブームが去り、売上が4000億円から3000億円まで急降下しました。原点・・・ 会社というものは常に順風満帆とはいかず、浮き沈みがあるものです。大きな壁にあたったり、深い谷間に落ち・・・ 企業は「人」で成り立っています。苦しい企業ではその中で働く人もくじけそうになっています。でも、私もそ・・・ どんな会社も現場の人はなんとかしようと一生懸命頑張っています。それでも業績が低迷するのは、ビジネスの・・・ 玉塚元一の全名言・格言を見る(全38件) 偉人の名前を姓名判断で見るとすごい結果に?!