私が40歳を過ぎてようやく売れだしたころ、手塚(治虫)さんはすでに押しも押されもせぬ漫画界の重鎮で、スーパースターだった。だから、そのころの手塚さんは売りだしたばかりの中年漫画家のことなんかあまり意識していなかっただろう。だが、私は手塚さんを「ライバル」だと思ってやってきた。 - 水木しげる - 前の名言 「楽をして、ぐうたらに生きる」が私の座右の... 次の名言 強いだけ、威張るだけではガキ大将の座は安泰... 水木しげるのその他の名言・格言(全30件) 古今東西の「あの世」のことを調べていて、気づいたことがあります。それは、地獄の様子は場所とか民族とか・・・ 私が漫画で食えるようになったのは40歳を超えてから。ベビイ(子供)のころから憧れていた絵で食う暮らし・・・ 打込めることを真剣に探そうとすると真面目な人たちには、案外それが見つからないものです。見つけるにはコ・・・ ベビイ(子供)のころは誰もが好きなことに没頭して生きていたはずだ。人間は好きなこと、すなわち「しない・・・ 我を忘れて没頭できること、本気で夢中になれることなら、どんなにアホなことでもいい。周囲の目や批判を気・・・ ある人が、「水木さんは奇人変人のタイカ(大家)だ」と言ってくれたが、実際、私が長年にわたって古今東西・・・ 私の職業である漫画家は、売れなければ終わりの冷酷な世界です。なんとか売れるようになった後も、ヒット作・・・ 筋を考えるのが漫画家の生命線です。私ははっきり言ってその努力は惜しみませんでした。いまでも続けている・・・ 同業者の家に行くと、本なんか一冊もない人たちが少なくありませんでした。面白おかしく、楽しみながら好き・・・ 若いときは怠けては駄目です!でも、中年を過ぎたら愉快に怠けるクセをつけるべきです。なんとか食えるよう・・・ 水木しげるの全名言・格言を見る(全30件) 偉人の名前を姓名判断で見るとすごい結果に?!