私の単独登山にしても、やはりひとつの登山形態として、未知なものへの探求と可能性への挑戦、さらに大きくいうなら、人間の可能性への挑戦ではなかろうかと思っている。グループで登山するのは、お互いに山を楽しむ目的ばかりでなく、個人、小人数ではできない条件があって隊を組むのだが、私の求めている単独登山は、たとえば陸上競技の100メートル競走で、0.1秒を競って人間の可能性を深めてゆくのと同じことだと思っている。 - 植村直己 - 前の名言 しかし、山登りはたとえどんな山であろうと、... 次の名言 これまでの私の、山を舞台にした自然との苦闘... 植村直己のその他の名言・格言(全35件) 必ず壁はあるんです。それを乗り越えたとき、パッとまた新しい世界がある。だから厳しく自分を鞭打ってやっ・・・ 出発するとすぐ、帰ることばかり考えるんですよね。毎日先に進みながら、いかにして先に進むかじゃなくて、・・・ 人間の社会の五里霧中をさまようより、この大自然のガスの中の方が、私にとってはずっと身に合っているのだ・・・ いつも前進があるだけだった。失敗したら逃げ道がないと思った。旅の中止は私が自分なりに積み上げてきた実・・・ みんな、それぞれが、何か新しいことをやる、それはすべて冒険だと、僕は思うんです。 高い山に登ったからすごいとか、偉いとかいう考え方にはなれない。山登りを優劣でみてはいけないと思う。 怖いがゆえ、死にたくないがゆえに、自分の技術以上のことをやらないよう、自分に言い聞かせている。 ヨーロッパ山行まで、何年かかるかしれないが、とにかく日本を出ることだ。英語ができない、フランス語がで・・・ 苦労が大きければ大きいほど、後でそれに比例した大きな喜びが返ってくるものなのだ。 もちろん山は危険だ。だが、この危険を克服しなくては登れないのは当たり前だ。 植村直己の全名言・格言を見る(全35件) 偉人の名前を姓名判断で見るとすごい結果に?!