八月まで、まだ数日あったので、私はそのあと危険な山旅からのがれ、チェルビニアの近辺に咲く高山植物を採って歩いた。道からはずれた手の届かない岩棚の上に、エーデルワイスの花を見つけたのはうれしかった。誰に見られることもなく風にゆれ、七、八輪の花を咲かせているのだった。そのエーデルワイスの姿は、私を感傷的にした。人の目につくような登山より、このエーデルワイスのように誰にも気づかれず、自然の冒険を自分のものとして登山をする。これこそ単独で登っている自分があこがれていたものではないかと思った。 - 植村直己 - 前の名言 ひとつのものが終わると、またつぎの新しいも... 次の名言 私がこのあと、強く単独遠征にひかれたのはま... 植村直己のその他の名言・格言(全35件) 必ず壁はあるんです。それを乗り越えたとき、パッとまた新しい世界がある。だから厳しく自分を鞭打ってやっ・・・ 出発するとすぐ、帰ることばかり考えるんですよね。毎日先に進みながら、いかにして先に進むかじゃなくて、・・・ 人間の社会の五里霧中をさまようより、この大自然のガスの中の方が、私にとってはずっと身に合っているのだ・・・ いつも前進があるだけだった。失敗したら逃げ道がないと思った。旅の中止は私が自分なりに積み上げてきた実・・・ みんな、それぞれが、何か新しいことをやる、それはすべて冒険だと、僕は思うんです。 高い山に登ったからすごいとか、偉いとかいう考え方にはなれない。山登りを優劣でみてはいけないと思う。 怖いがゆえ、死にたくないがゆえに、自分の技術以上のことをやらないよう、自分に言い聞かせている。 ヨーロッパ山行まで、何年かかるかしれないが、とにかく日本を出ることだ。英語ができない、フランス語がで・・・ 苦労が大きければ大きいほど、後でそれに比例した大きな喜びが返ってくるものなのだ。 もちろん山は危険だ。だが、この危険を克服しなくては登れないのは当たり前だ。 植村直己の全名言・格言を見る(全35件) 偉人の名前を姓名判断で見るとすごい結果に?!