当時、外国ではすでにラジオは実用の段階に入っており、報道・娯楽の機関として不可欠の地位を占めていた。わが国でも愛宕山に放送局(NHK)が開設される運びで、一部の電気器具店や輸入商ではラジオ機械の研究に手を付け始めていた。アメリカ製のラジオは貴重なものだった。事業は常に新しいアイデアで他より一歩先にと新分野を開拓していかなければ、とうてい成功は望めない。私はたまたま買い入れたこの鉱石ラジオセットに異様なまでに関心を寄せた。
- 早川徳次 -
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