肝要のところに気を配れ。どうでもよいところに気をつけるものではない。小板葺きにして立派になっても、百姓が疲れきっているようでは、使者は国主の政治が良くないことを見抜くだろう。使者になるほどの者は、様々なことに気付く者だ。途中、当国の地を通って風俗、生活を見て、富み栄えているか、城門が粗末であろうと何の問題もない。むしろ、城門は立派なのに民衆が疲労している方が問題だ。 - 島津義久 - 前の名言 表に桜を植えたのは、参詣する人が花を楽しみ... 次の名言 良いことの五つは真似しやすく、悪いことの一... 島津義久のその他の名言・格言(全17件) 悪い若党(身分の低い者)は使ってはならぬ。悪い友だちと交わってはならぬ。 百姓を憐むことをもって、憲法の第一としたい。民の飢えや寒さを思い、貧窮の苦悩を知ることが重要。 家の造りを立派にすることは、古の賢王が堅く禁じたところである。 罰を薄くして賞を厚くせよ。 民の耕作の隙を見て、これを召使うことが肝要である。 主人の利益を基とし、いやしくも私利をむさぼることがあってはならない。民の利益を先にして、己の利益を後・・・ ほしいままに民のものを取ってはならない。民が貧しければ、主に財が無くなるものである。たとえていえば、・・・ 威勢をもって人を屈服すれば、その身体は屈従したようでも、心は従わない。正直の徳をもって民を従えさえす・・・ 家を治めるほどの者は、また、国を治めることもできる。民を憐む者を、君の器と見なす。 人が罵言雑言したとて、これをそのまま受け取って、咎め立てをしてはならぬ。 島津義久の全名言・格言を見る(全17件) 偉人の名前を姓名判断で見るとすごい結果に?!