銀行の甲乙は平常のときにはなかなかつきにくいが、非常の場合にはハッキリその差がわかるものである。これが私の60年間の銀行家生活のありふれた感想である。 - 岡野喜太郎 - 前の名言 明治18年の秋は幸いに豊作だったので、村は... 次の名言 銀行家が注意しなければならぬことは経費の節... 岡野喜太郎のその他の名言・格言(全20件) 勤倹貯蓄をする者に悪いことはできません。難しいことを言わなくても、修身の教科書はなくても、これを徹底・・・ 私はもう安閑として机にかじりついている気がしなくなった。学校を退き、家事を手伝って、我が家の危機を乗・・・ この飢饉の最中に、この貧乏村が立ち直るには、世間並みのことをやっていたのでは駄目である。一段と働き一・・・ 根方銀行が発足したのとき日本の銀行数は817行、その払込資本金は総計5216万余円であるから一行平均・・・ 「馬鹿ッ」と一喝、怒鳴りつけられるかもしれない。そう思って仰ぐと、以外にも父の顔はなごやかで静かであ・・・ 困難にあうごとに、いよいよ頭も冴え、いよいよ強くなるのが私の性格である。 非常時にも平常のように営業するのが銀行の使命である。お客様から預かった大切なお金を、この災害(関東大・・・ 私は関東大震災で妻と三女を失った。両人は湯河原の天野屋に保養に行く途中、根府川で地震にあい、列車もろ・・・ 私は、若い事業家が失敗して、駿河銀行に救済を求めに来ると、肩をたたき、親身になって再起の方法を考えて・・・ 銀行は営利法人であるから、ある程度の利益を得なければならないが、非常の場合はとにかく、常に借金をしな・・・ 岡野喜太郎の全名言・格言を見る(全20件) 偉人の名前を姓名判断で見るとすごい結果に?!