一人物の死後に残り、思い出となるのは地位でも財産でも名誉でもない。こんな人間だった。こういう嬉しいところのあった人だというその人自身、言い換えればその人の心・精神・言動である。このことが、人間とは何かという問いの真実の答えになる。 - 安岡正篤 - 前の名言 真の教養とは、人類の有する偉大な著作に親し... 次の名言 本当の学問というものは、血となって身体中を... 安岡正篤のその他の名言・格言(全90件) 人を観るときは、前より後ろから観るのがよい。前はつくろえるが後ろは誤魔化せないからだ。後ろ姿の淋しい・・・ 人間は自得から出発しなければならない。人間はいろんなものを失うが、何が一番失いやすいかといいますと、・・・ 人間は何事によらず新鮮でなければならない。ところがいかにすれば新鮮であり得るかといえば、やはり真理を・・・ 新という字を知らぬ者はいない。しかし新という字の真の意味を理解する人は意外に少ない。元来この字は「辛・・・ 学問というものは現実から遊離したものは駄目であって、どうしても自分の身につけて、足が地を離れぬように・・・ 太陽の光に浴さなければ、物が育たないのと同じことで、人間の理想精神というものは心の太陽なのだ。理想に・・・ 修養の仕方によっては、人間はいかなる能力があるかわからぬほど貴い。研究すればするほど、人間の美質は発・・・ 病弱とか、愚鈍であるとか、貧乏であるとか、多忙であるとかいうことは、逆に自分自身を鍛錬する非常な妙薬・・・ 「さいわい」にも幸と福と二字ある。学問的にいうと、「幸」というのは幸いの原因が自分の中にない、偶然的・・・ 健康の三原則 安岡正篤の全名言・格言を見る(全90件) 偉人の名前を姓名判断で見るとすごい結果に?!