私は高校野球の名門である和歌山県の箕島高校へ進みました。尾藤公監督の采配は体にしみこんでいます。「勝たなくてもいいが、負けるな」。大勝を狙うなということです。一点差でも立派な勝利。甲子園では負ければ明日はありません。実際、当時の箕島高校は僅差の勝利が多かったし、たとえ黒星でも大量失点は許しませんでした。 - 大島康朋 - 前の名言 私自身、土木工事の作業現場やトラックの運転... 次の名言 家業に携わったのは高校を出てすぐ、父が病気... 大島康朋のその他の名言・格言(全21件) 建設企業にして物流企業。こうした会社は、ほかにあまりないでしょう。「雨が降れば仕事にならない建設業だ・・・ 本当に信頼していい人物かどうかを見極めるのに、下手なコミュニケーションなど無用。男の仕事は、いわば後・・・ 会社経営でも、私は「損失は出すな」とだけいって、それ以上の目標は役員にも社員にも課しません。ただ、私・・・ 大島産業のモットーは「ガンバル!!」です。日々当たり前の務めを当たり前に、粛々と果たしていこうという・・・ 無事故で工期や納期の指示・約束を守り、守秘義務を果たす。きちんとあいさつをする。まさに当たり前の務め・・・ もし、これから福岡や九州の他県でビジネスを展開しようとお考えなら、やっぱり地元の取引先と早く信頼関係・・・ 13年経っても成功した実感はありません。まだまだ終わったわけではない。成功したと思ったとたんに、そこ・・・ 商売をしていてよかったなと思ったのは、とある親子からの手紙でした。その親子は店を畳んで出て行こうとし・・・ 社員に対しても、ここで働いてくれているのは何かの縁だと思っていますし、そこには人間関係ができる絆があ・・・ 弊社は粛々と仕事をこなすだけの会社ですので目標なんて持ってはならないと思っています。ただ毎日、きちん・・・ 大島康朋の全名言・格言を見る(全21件) 偉人の名前を姓名判断で見るとすごい結果に?!