家業に携わったのは高校を出てすぐ、父が病気とわかったときでした。とはいうものの、そんな若造に父の代わりは務まらない。そもそも社員たちはずっと年上です。悩んだ時期にある人から「大島、仕事は年齢じゃない。結果だ」と諭され、自分の担当だった営業活動で答えを出すことに専念しました。少しずつ実績をあげるようになると、私を見る社内の目が変わりました。それが私にとって、仕事、ひいては経営の原体験です。
- 大島康朋 -
人気の名言・格言
こんな実験があります。ある人の写真を2つのグループに見せました。ひとつのグループには「この人はBak...
しれば迷ひしなければ迷はぬ恋の道
信頼してこそ人は尽くしてくれるものだ。
自らを助けないものを救おうとしても、無駄だ。ハシゴを自分で登る意思のないものを他人が押し上げることで...
ベストウェイ(最適な選択肢)というのは、双方の意見とは別のところにあるのではないだろうか。ディスカッ...
言い訳は解決への執念を鈍らせる。
天下才なきにあらず、用うる人なきのみ、哀しいかな。
私は当年とって69歳になるが、日常会社勤めのほか全国を東奔西走の形で席の温まる暇もない状態である。し...
自己紹介でやってはいけないのは、名刺を差し出して、「私、こういう者です」としか言わないパターンです。...
最も重視する能力は一生懸命働く意識の高さですね。ウサギとカメと同じですよ。仕事が楽しいと言っている社...