入院生活では収穫もあった。「100日仰向けでいろ」との医師の命令があったため、病室ではずっと天井を見つめていた。暇だったので周囲に目をやると、次第に天井の梁(はり)の出っ張りが気になってきた。なぜこんな不細工なものが部屋にあるのか。それが出発点になった。天井の梁や、部屋の隅の柱の出っ張りがない空間ができないものかと思い、「木質パネル接着工法」を思い付く。これがミサワホームの始まりになった。 - 三澤千代治 - 前の名言 友人の山本幸男と2人で事業をスタートした。... 次の名言 一人で耐えねばならぬ問題は仕方ないが、何事... 三澤千代治のその他の名言・格言(全9件) 友人の山本幸男と2人で事業をスタートした。山本は十日町高校の同窓で、浪人して2年遅れていた。山本は文・・・ 不透明な時代、人も企業もどう生き残るかとよく言うが、これは生き残りと勝ち残りとあって、なんとかやりく・・・ 世の中の変化に合わせて経営者も変わらなければならない。それには一度死んで生まれ変わるのが一番と考えて・・・ 現代社会では理屈を言うより、五感を磨いた人の方が重要だ。学校と家とを往復しただけの真面目な学生より、・・・ 私の人生を振り返ると、つくづく私だけでやってきたことはたいしたことはなく、教えていただいたことばかり・・・ 欲のない年寄りの話に真実がひそんでいる。 定年まで40年というと10種類以上の学士になれる。 ハウスは「物」でありハードだが、ホームは「家庭」、つまりソフトである。私たちが提供しようとしたのは、・・・ 偉人の名前を姓名判断で見るとすごい結果に?!