わたしたちは、まさにうれしいとはどういうことか、忘れていた。それは、もう一度学びなおさなければならないなにかになってしまっていた。 解放された仲間たちが経験したのは、心理学の立場から言えば、強度の離人症だった。すべては非現実で、不確かで、ただの夢のように感じられる。 - ヴィクトール・フランクル - 前の名言 収容所で体験したすべてがただの悪夢以上のな... 次の名言 解放された人びとが強制収容所のすべての体験... ヴィクトール・フランクルのその他の名言・格言(全61件) ユーモアも自分を見失わないための魂の武器だ。ユーモアとは、知られているように、ほんの数秒でも、周囲か・・・ ほんのささいな恐怖をまぬがれることができれば、わたしたちは運命に感謝した。 もちろん、収容所生活のこ・・・ 与えられた環境でいかにふるまうかという、人間としての最後の自由だけは奪えない。 「強制収容所ではたいていの人が、今に見ていろ、わたしの真価を発揮できるときがくる、と信じていた」 け・・・ およそ生きることそのものに意味があるとすれば、苦しむことにも意味があるはずだ。苦しむこともまた生きる・・・ 被収容者はショックの第一段階から、第二段階である感動の消滅段階へと移行した。内面がじわじわと死んでい・・・ 人間はなにごとにも慣れる存在だ、と定義したドストエフスキーがいかに正しかったかを思わずにはいられない・・・ 被収容者の内面が深まると、たまに芸術や自然に接することが強烈な経験となった。この経験は、世界やしんそ・・・ 幸せは、決して目標ではないし、目標であってもならないし、さらに目標であることもできません。それは結果・・・ 何人(なんぴと)も彼から苦悩を取り去ることはできないし、彼の代わりに苦悩を苦しむこともできない。 ヴィクトール・フランクルの全名言・格言を見る(全61件) 偉人の名前を姓名判断で見るとすごい結果に?!