自分はこの目のまえに立っている犯罪者とまったくおなじような罪人である。いや、自分こそ、この目のまえに立っている。人間の犯罪に対し、だれよりもさきに重い罪があるのだと、みずから認識しないかぎり、この地上には犯罪者を裁くことのできる者は存在しないのだ。 - フョードル・ドストエフスキー - 前の名言 青春は、それが青春という理由だけで、もう清... 次の名言 金こそは- 取るに足らぬ人物を第一級の地位... フョードル・ドストエフスキーのその他の名言・格言(全89件) 娘が自分で惚れた男というのは、父親の目にはいつだって一番つまらない男に見えるものだ。 どうか偶然なんてことをあてにしないでください。偶然のない人生というのもあるのですから。 金は鋳造された自由である。 自分も生き、他人をも生かすようにする。 人間は従順な動物である。どんなことにも馴れてしまう存在である。 幼年時代の思い出から得た神聖な貴重なものなしには、人間は生きてゆくこともできない。 もし他に方法がなければ乞食になってもいい。しかも乞食になったらその日から、手に入ったお金は自分のため・・・ 神がいなければ、すべてが許される。 娘の恋は母にとっては死である。 ほんとうに人間はだれでも、すべての人に対し、すべてのことについて罪があるのです。人びとはただそれを知・・・ フョードル・ドストエフスキーの全名言・格言を見る(全89件) 偉人の名前を姓名判断で見るとすごい結果に?!