どん底に耐えられれば、裸になることができる。私は新日本プロレスを旗揚げした時、一軒、一軒、キップを売って歩いた。理想のプロレスをつくり上げるために、なりふり構わず頭を下げた。十年近くたっても、私はそれをやった。浅草の街頭に立って売り歩き、それでもキップが残ったので一軒、一軒まわった。なぜなら、ほかならぬ自分へのチャレンジだったからだ。 - アントニオ猪木 - 前の名言 夢を持て、でかければでかいほどいい。とにか... 次の名言 よく、これがもう俺の限界だと弱音を吐くやつ... アントニオ猪木のその他の名言・格言(全21件) 日本では、プロレス流に言うと北朝鮮が悪役、日本が善玉という構図が染みついています。常々私が言っている・・・ みなさん北朝鮮は怖い国というイメージを持っているようですが、私も初めて訪朝したときは、平和な日本とは・・・ 1976年、当時のボクシング世界ヘビー級チャンピオンであるモハメド・アリと戦ったことがあります。今に・・・ 私自身ブラジル移民で、力道山にスカウトされて日本に帰ってきたときから、ひどいことを言われ続けてきまし・・・ 日本人は「日本が平和憲法を持った国家」であると思っている。しかし、実際は世界の人はそんなこと知らない・・・ 私はプロレス修業時代、誰よりも大きな欲を持とうと思い練習した。だからつらいことにも耐えられた。苦が苦・・・ 最初から「我、我を欲せず」などという悟りを開く男はいない。私は、若くしてそのように言い、行動する若者・・・ 俺たちは、生まれながらに偉いのではない。全力でぶつかり、失敗し、それでも立ち上がって、また失敗し、や・・・ 人は歩みをとめたときに、そして挑戦をあきらめたときに年老いていくのだと思います。この道を行けばどうな・・・ 私は色紙にいつの日か闘魂という文字を書くようになりました。それを称してある人が燃える闘魂と名付けてく・・・ アントニオ猪木の全名言・格言を見る(全21件) 偉人の名前を姓名判断で見るとすごい結果に?!