ほんのささいな恐怖をまぬがれることができれば、わたしたちは運命に感謝した。 もちろん、収容所生活のこうした惨めな「喜び」は、苦痛をまぬがれるという、ショーペンハウアーが言う否定的な意味での幸せにほかならないし、それらもここまで述べてきたように、「……よりはまだまし」という意味でしかない。 積極的な喜びには、ほんの小さなものですら、ごくまれにしか出会えなかった。
- ヴィクトール・フランクル -
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