ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe、1749年8月28日 – 1832年3月22日)はドイツの詩人、劇作家、小説家、自然科学者、政治家、法律家。ドイツを代表する文豪であり、小説『若きウェルテルの悩み』『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』、叙事詩『ヘルマンとドロテーア』、詩劇『ファウスト』など広い分野で重要な作品を残した。

その文学活動は大きく3期に分けられる。初期のゲーテはヘルダーに教えを受けたシュトゥルム・ウント・ドラングの代表的詩人であり、25歳のときに出版した『若きウェルテルの悩み』でヨーロッパ中にその文名を轟かせた。その後ヴァイマル公国の宮廷顧問(その後枢密顧問官・政務長官つまり宰相も務めた)となりしばらく公務に没頭するが、シュタイン夫人との恋愛やイタリアへの旅行などを経て古代の調和的な美に目覚めていき、『エグモント』『ヘルマンとドロテーア』『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』などを執筆、シラーとともにドイツ文学における古典主義時代を築いていく。

シラーの死を経た晩年も創作意欲は衰えず、公務や自然科学研究を続けながら『親和力』『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』『西東詩集』など円熟した作品を成した。大作『ファウスト』は20代から死の直前まで書き継がれたライフ・ワークである。ほかに旅行記『イタリア紀行(英語版)』、自伝『詩と真実』や、自然科学者として「植物変態論」『色彩論』などの著作を残している。

『ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ』の名言・格言一覧(全129件)

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ 空気と光と、そして友達の愛。これだけが残っていれば、気を落とすことはない。

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ 泣いてパンを食べたものでなければ、人生の本当の味はわからない。

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ なぜこのように悪口が絶えないのか。人々は他人のちょっとした功績でも認めると、自分の品位が下がるように・・・

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ 愛する人の欠点を美点と思わない人間は、その人を愛しているのではない。

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ 決して人に欺かれるのではない。自分で己を欺くのである。

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ 卑怯者は安全なときだけ威丈高になる。

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ 革命前にはすべてが努力であった。革命後にはすべてが要求に変わった。

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ 人はほとんど知らない時にのみ知っている。知識とともに疑いが強まるのだから。何でも知らないことが必要で・・・

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ 王様であろうと、農民であろうと、自分の家庭で平和を見出す者が、いちばん幸福な人間である。

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ 望んでいたものを手に入れたと思い込んでいるときほど、願望から遠く離れていることはない。

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ 人間こそ人間にとって最も興味あるものであり、おそらく人間のみが人間に興味を感じさせるものであろう。

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ 若い時は興味が散漫なため忘れっぽく、年をとると興味の欠乏のために忘れっぽい。

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ 常によい目的を見失わずに努力を続ける限り、最後には必ず救われる。

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ 苦しみが残していったものを味わえ!苦難も過ぎてしまえば甘美だ。

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ 結婚生活はすべての文化のはじめであり、頂上である。それは乱暴者を穏やかにするし、教養の高い者にとって・・・

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ 愚者と賢者はともに害がない。半分愚者、半分賢者だけが一番危険である。

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ 新聞を読まなくなってから私は心がのびのびし、実に気持ちが良いです。人々は他人のすることばかり気にかけ・・・

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ 多数というものより気に障るものはない。なぜなら、多数を構成しているものは、少数の有力な先導者のほかに・・・

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ 才能は静けさの中でつくられ、性格は世の荒波の中でつくられる。

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ 天才も不滅ではないということほど、凡人にとって慰めになることはない。

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