31歳で最初にアメリカに赴任したときは、まさかそれから28年間も駐在が続くとは思っていませんでした。そもそも私は英語が得意だったわけではなく、むしろ社会人になってからはこれ幸いと、英語から目をそらすように生きてきたといっても過言ではありません。いま思えば中学高校の6年間である程度基礎ができていたから、のちに必要に駆られて英語に取り組むようになったとき、なんとか対応することができたのでしょう。
- 村瀬治男 -
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