会社員時代、当時の年収約1200万円を捨てるのは恐怖でした。だから、自分のやりたいことに気づかぬようにし、諦めていたのです。ただ、定年まで死んだような毎日を過ごすのも嫌でした。そこに気づいてから恐怖と諦めを徹底的に排除したんです。すると、天秤が反対側に乗っていたやりたいことの側に自然と傾きました。
- 心屋仁之助 -
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