神仏を礼拝することは、身の行ないというものである。神仏に対して拝む気持ちがあるならば、ただひたすらに心を正しくおだやかに持ち、正直一途に暮らし、上なる人を敬い、下なる者を燐み、包み隠しなく、有るをば有るとし、無きをば無いとして、ありのままの心持ちで生活することが、天意にも仏意にも叶うというものである。このような心持ちでいるならば、たとえ祈らなくとも神明の御加護はあるものであり、たとえ祈ったとしても心が曲がっていたならば、天道からも見はなされるものであることを、肝に銘じて、深く慎まなくてはならないのである。
- 北条早雲(伊勢宗瑞) -
人気の名言・格言
女性とは議論も口論もしない方が良い
任天堂はポケモンと心中するつもりはない。巨額の制作費をかけた映画なんか作らない。せいぜいアニメ映画で...
人間は3つのタイプに分かれていると思う。自分でマッチを擦って火をつけられる人。マッチは持っていないけ...
人生は、きっと自分のしたいことのためにあるんだと思う。だから、時間があると思う人は、まだ何かできると...
白い旗はあきらめた時にだけかざすの
一番肝心なことは、悪いことが起きたからといって、嘆き悲しむことはないということです。悪いことは長く続...
間違いを犯したことのない人というのは、何も新しいことをしていない人のことだ。
大事業家になる条件は4つある。 (1)貧困に育つこと。(2)または貧困を経験すること。(3)大学を卒...
ユダヤ人は大勢で何かを決めるとき、誰かがあることを主張したら、別の誰かが悪魔の使徒になったかのごとく...
人生とは、自分自身が脚本を書き、主役を演じるドラマだ。どのようなドラマを描くかは自分次第であり、心や...
朝は常に早く起きるように心がけねばならない。遅く起きるならば、下の者までが気持ちを緩めてしまって、公・・・
