モハメド・アリ モハメド・アリ

モハメド・アリ(Muhammad Ali [muˈhɑməd ɑːˈliː]、1942年1月17日 – 2016年6月3日)は、アメリカ合衆国の元プロボクサー。

ケンタッキー州ルイビル出身。アフリカ系アメリカ人だが、イングランドとアイルランドの血も引く。
元WBA・WBC統一世界ヘビー級チャンピオン。

イスラム教改宗前の本名はカシアス・マーセラス・クレイ・ジュニア(Cassius Marcellus Clay, Jr. [ˈkæsɪəs mɑrˈsɛləs kleɪ])。

1964年にネーション・オブ・イスラムへの加入を機に、リングネームをカシアス・クレイからモハメド・アリに改めた。(ムハマド・アリという日本語表記もあり)

1960年ローマオリンピックボクシングライトヘビー級で金メダルを獲得。
その後プロに転向し、1964年にはソニー・リストンを倒して世界ヘビー級王座を獲得した。

ジョージ・フォアマンとザイールで対戦し、8Rでの一発大逆転を演じたタイトルマッチや、ジョー・フレージャーとの死闘など、ボクシング史上に残る数々な名勝負を行っている。
最終的には、通算3度のチャンピオン奪取成功と19度の防衛に輝いた。

マルコム・Xと出会いその思想に共鳴。イスラム教にも改宗。
ベトナム戦争徴兵も拒否により米国政府と長期にわたって争ったが、最終的には無罪を勝ち取った(リング外での闘い)ことでも知られる。

その発言と行動は当時の米国政府や保守派との深刻な対立をもたらし、世界タイトル剥奪や試合禁止等様々な圧力が加えられた。

引退から3年が経った42歳のとき、現役時代に受けた頭部へのダメージが原因とされるパーキンソン病と診断され闘病生活を送っていたが[3]、2016年6月3日に74歳で死去した。死因は敗血症ショック。
総合格闘家のケビン・ケーシーは義理の息子。

『モハメド・アリ』の名言・格言一覧(全23件)

モハメド・アリ 良い返答を思いつかないとき、沈黙は金だ。

モハメド・アリ 私の一番つらかった戦いは、最初の妻とのものだ。

モハメド・アリ 他者に貢献することは、この地球でのあなたの居場所に払う家賃である。

モハメド・アリ 人は世界一のゴミ収集人になれる。世界一のモデルにだってなれる。たとえ何をやろうと、それが世界一なら何・・・

モハメド・アリ 想像力のない奴に、翼は持てない。

モハメド・アリ 肯定の繰り返しが信念につながる。その信念が深い確信になると、物事が実現し始める。

モハメド・アリ 私は蝶のように舞い、蜂のように刺す。奴には私の姿は見えない。見えない相手を打てるわけが無いだろう。

モハメド・アリ もし俺を倒すなんて夢を見ているのなら、さっさと目を覚まして俺に謝った方がいい。

モハメド・アリ 俺はトレーニングが大嫌いだった。でも、自分にこう言い聞かせたんだ。「絶対にあきらめるな。今は耐えろ。・・・

モハメド・アリ これからのこの国がどうなるのかは、君たち白人(エリート)の双肩にかかっている。よく考えて欲しい。答え・・・

モハメド・アリ 50歳になった時、20歳の時と同じように世界を見ている人間は、人生の30年を無駄にしたということだ。

モハメド・アリ 友情は、この世で最も説明しづらいものだ。それは学校で教えてくれるものじゃない。でもその意味を知らなけ・・・

モハメド・アリ いかなる理由があろうとも、殺人に加担することはできない。アラーの教えに背くわけにはいかない。

モハメド・アリ あなたが、私に対して、 なって欲しいという者に、私はなる義務がない。

モハメド・アリ 私が心から恐れるのは神の法だけだ。人が作った法はどうでもいいと言うつもりはないが、私は神の法に従う。・・・

モハメド・アリ 私は神話を作り、神話の中で生きる

モハメド・アリ チャンピオンはジムで作られるものじゃない。彼らの奥深くにある「何か」で作られるんだ。例えば願望、夢、・・・

モハメド・アリ 私ほど偉大になると、謙虚になることは難しい。

モハメド・アリ 人間として大きくなればなるほど、それをあえて他人に証明する必要は無くなるのです。

モハメド・アリ 不可能とは、自らの力で世界を切り開くことを放棄した臆病者の言葉だ。不可能とは、現状に甘んじるための言・・・

サブコンテンツ