島津義久 島津義久

島津 義久(しまづ よしひさ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。薩摩国の守護大名・戦国大名。島津氏第16代当主。島津氏の家督を継ぎ、薩摩・大隅・日向の三州を制圧する。その後も耳川の戦いにおいて九州最大の戦国大名であった豊後国の大友氏に大勝し、また沖田畷の戦いでは九州西部に強大な勢力を誇った肥前国の龍造寺氏を撃ち破った。義久は優秀な3人の弟(島津義弘・歳久・家久)と共に、精強な家臣団を率いて九州統一を目指し躍進し、一時は筑前・豊後の一部を除く九州の大半を手中に収め、島津氏の最大版図を築いた。しかし、豊臣秀吉の九州征伐を受け降伏し、本領である薩摩・大隅2ヶ国と日向諸県郡を安堵される。豊臣政権・関ヶ原の戦い・徳川政権を生き抜き、隠居後も家中に強い政治力を持ち続けた。

『島津義久』の名言・格言一覧(全17件)

島津義久 悪い若党(身分の低い者)は使ってはならぬ。悪い友だちと交わってはならぬ。

島津義久 百姓を憐むことをもって、憲法の第一としたい。民の飢えや寒さを思い、貧窮の苦悩を知ることが重要。

島津義久 家の造りを立派にすることは、古の賢王が堅く禁じたところである。

島津義久 罰を薄くして賞を厚くせよ。

島津義久 民の耕作の隙を見て、これを召使うことが肝要である。

島津義久 主人の利益を基とし、いやしくも私利をむさぼることがあってはならない。民の利益を先にして、己の利益を後・・・

島津義久 ほしいままに民のものを取ってはならない。民が貧しければ、主に財が無くなるものである。たとえていえば、・・・

島津義久 威勢をもって人を屈服すれば、その身体は屈従したようでも、心は従わない。正直の徳をもって民を従えさえす・・・

島津義久 家を治めるほどの者は、また、国を治めることもできる。民を憐む者を、君の器と見なす。

島津義久 人が罵言雑言したとて、これをそのまま受け取って、咎め立てをしてはならぬ。

島津義久 隠し立てしなければ恥ずかしいようなことは、してはならぬ。人の目は天にかかっているものである。

島津義久 独り言であっても、卑怯な言葉を使ってはならぬ。人の耳は壁についているものである。

島津義久 侍たちの中で、鉄砲に対して未熟な者は、領地を没収し罪科に処する。

島津義久 良いことの五つは真似しやすく、悪いことの一つはなかなかやめられない。

島津義久 肝要のところに気を配れ。どうでもよいところに気をつけるものではない。小板葺きにして立派になっても、百・・・

島津義久 表に桜を植えたのは、参詣する人が花を楽しみ、心が豊かになるだろうからだ。裏に栗を植えたのは、栗の実は・・・

島津義久 それならば、わしが目付を買って出よう。お前は副吏と心得よ。副吏の心得をどのように思うか。家中の者たち・・・

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