小川栄一 小川栄一

小川 栄一(おがわ えいいち、1899年(明治32年)12月24日 – 1978年(昭和53年)12月8日)は日本の実業家。藤田観光の創業者。獅子文六の小説「箱根山」のモデルとなった。

安田信託銀行に入行し、抵当流れの豊島園を再建した。1944年には倒産した藤田財閥の財産整理を行い、藤田興業、同和鉱業を再建した。箱根を中心とした観光事業に進出し、箱根小涌園、東京椿山荘などの藤田グループを築き上げて、藤田観光社長に就任した。

『小川栄一』の名言・格言一覧(全11件)

小川栄一 自然の姿は林であり、森なのだ。木が二本で林、三本で森と書く。集団で移せば必ず根付くものだ。これは植物・・・

小川栄一 不平はエネルギーだ。人間は不平がなければ、働く意欲を失ってしまう。

小川栄一 一番素晴らしい人間というものは、父のような冷静さと母のような愛を持たなければならぬ。このふたつが混然・・・

小川栄一 学校は人生の牧場である。その牧場の中で一人恵まれて育った者までが、先に立って悪いことをしたんでは申し・・・

小川栄一 しょせん月給取りは憎まれる「とり」なんだな。5円、10円、いまならば1000円、2000円という昇給・・・

小川栄一 入社して9年目、私は本店の貸付課長になった。ときに35歳。その間、仕事の関係から酒を飲む機会も多くな・・・

小川栄一 「この伏魔殿をガラス張りにするためにはどうすればいいだろう」私は考えつめた末「日本でいちばん優秀な鉱・・・

小川栄一 インテリは弱いものである。自分の理論が敗れると即座に退散する。昔の戦国時代の人間は、最後の一兵卒にな・・・

小川栄一 運・鈍・根の信念を教えられた。以来、今日まで私は両人の悪口は一切言わないでいる。

小川栄一 昔は学問がなくても立派な人間がいた。私はここで世の親御さんにお願いしたいのは、名をあこがれ、無理に子・・・

小川栄一 私は現在もなお、借地の上の狭い家に住んでいるが、そのわけは人間には不平がなければ働く意欲を失うからで・・・

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